伊勢河崎〜ミニツーリング

伊勢河崎は 伊勢神宮参拝客の食を支え続けた町。
沢山の酒 魚 野菜 穀物 米などが海からやってきて この地で水揚げされ
旅籠や商店に運ばれていた。

家族の厄払いという理由をこじつけて神参り。
久しぶりに朝ゆっくり出て 伊勢までツーリング。

お参りを済ませ 宇治山田駅から海側へ開いた河崎の街へ。

ここは江戸時代 伊勢の町の海の玄関口。
沢山の人やモノが運河で運ばれて 栄えた街。

往時を偲ぶ建物が沢山あって 見飽きることがない。
河崎の町は 海に開かれたこの運河 勢多川によって栄え やがて陸運の隆盛とともに水運は衰退し
運河の周りの商家は仕事場を失い だんだん寂れてきた。

いまは隆盛当時の様子を伝える 立派な建物がひっそりと川べりや 街のあちこちにたたずんでいる。
ここは河崎の町の運河沿いの「川の駅」
もとはなにかの商家だったらしいが いまは河崎の町を紹介する展示施設になっていた。

明るく開放された館内は 運河が見渡せて気持が良い。
無料だから 寄ってみるといい。

今日は昼から快晴になって気温が高く
湿度も低く からっとして気持が良い日だ。
建物の中は このまちの昔の写真が沢山展示していて興味深い。

しっかりとした柱や 建物の梁は貴重なものだ。

保存修理されている方の苦労はいかばかりだろう。

町中の鬼瓦やうだつの写真など 興味深く拝見した。
川の駅の裏側は この町のメインストリート。
古い建物が並んでいて この一角はさながら江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚える。

ちりめん問屋のご隠居さんが とおりの向こうからひょっこり現れそうな そんな街角。

右手の建物は 河崎商人館。
向かいの建物や この建物など一帯は  酒蔵 店 住居など壮大な一軒の商店だったらしい。

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焼板で葺かれた外壁は 風化せずちゃんと手入れがしてあって コンディションの良いものだ。
商人館の中へお邪魔する(入館有料)
最初の部屋は お客さんと商談したり サロンとしても使われていた部屋。

洋式の室内がなんともモダンだ。

昔のこの酒蔵では 酒のほかサイダーを製造していたり 手広くやっていたようだ。
住居兼店の内部。
広々とした間取りは 京間になっており 江戸間に較べて一部屋一部屋が 広くなっている。

開放すると川風が抜けて 気持ちの良いものだ。

幾部屋も繋がっていて その向こうは広い中庭がある。

その向こうは 作業場といくつもの蔵が続いていた。
一つ目の蔵は展示室になっていて 古い写真が沢山展示してある。

とても広い蔵は 個人のものとしては 最大クラスのものだ。
内部一階はこのようになっていた。

江戸時代から近代までの河崎付近の古地図や この時代の経済圏の様子。

伊勢参りの人々の様子や 河崎の町のモダンな写真 商家の資料など 見ていてなかなか楽しく 飽きさせない。
このようなポスターが展示してあった。
当時のコマーシャルメッセージなのだろう。

健康的な女性は やけに眉が濃い。

伊勢の海女さんに このような顔つきの女性をみたことがある。

現代的な美人というべきか。
隣の蔵は酒造関係の器具を収納してある 文字通り 「蔵」その隣の蔵は いまは改造されて かわや(トイレ)になっている。

その多 敷地内には幾つかの蔵(倉庫)と サイダー製造施設などもある。
二階の客間の格子窓から 外の通りが見える。
通りを隔てた 向いの蔵も ここの施設だったらしい。
部屋の中を一時 風が通り抜け カタカタとガラスの格子窓が揺れた。

過去、この通りを行き交う人々 船頭や人足 商人や旅人 遊芸人など様々な人がこの窓を見上げたことだろう。

或いは この窓から下を眺めていたのは どんな人だったのだろうか・・・
伊勢河崎商人館は もと酒問屋の建物だが その酒問屋は近年廃業の憂き目にあって 建物と土地は売りに出されていたという。

そしてその場所にマンション建設の計画が持ち上がり これを憂慮した地元の有志たちが立ち上がり NPO法人を立ち上げ 伊勢市に働きかけて 土地建物を保護して伊勢商人館が出来上がったという。

NPO法人の皆さんは その後その活動を広げ この河崎の古い建物群を登録させて まちなみ保存運動を展開 活動されている。(NPO法人 伊勢河崎まちづくり衆) 

住民にとって 古い建物が保存されることが 良いことなのか それとも否定的なのか 余所者には口出しできない問題なのだが 行きずりの旅人にとって こんな町に迷い込んだ一日は 極めて幸せな時間だった・・・・と申し上げておきたい。
河崎には 商人館以外にも 沢山の建物が残っている。

殆どが問屋を営んでいた あるいは今も営んでいる 現役の建物で 川沿いのあちこちや 町の中にも現存している見事な建物群が 少し歩けばいくつも見られる。


立派な玄関やしっかりした二階家の商家は よそではちょっと見られないだろう。
面白い屋号の瀬戸物屋さん。

蔵いっぱいに収められた 数え切れないくらいの瀬戸物は 所狭しと置かれていた。

この蔵を見学料100円を払って 見せてもらった。

築300年の蔵は 太い太いケヤキの梁と柱が何本も通って 真ん中の土間の通路には レールが走っていて 商品を運ぶトロッコも見せてもらった。
この町は生きた博物館。

人が住み町を守り 建物はそのまま使われている。
この通りには 今でも残る 鰹節問屋や 食料品店 和菓子や 塗装店など 幾つもの立派な建物が並んでいる。

自転車で通り抜ける人達は この街が生きている証拠。人の通らなくなった街は やがて寂れてゆく。 
こんなたて看板さえ 味がある。

昔はどこにでもあったこんな看板も いまは見られなくなっている。

人々のマナーが良くなって こんなものも必要なくなったんだろう。

「昔はよかった・・」なんていう人がいるが 今のほうが良いことも沢山あるという見本のようなもの。
運河に向かう橋に向かう道と 古い商家。

空は高く晴れ渡り 澄んだ空気は あたりの細かいディティールまで描き出します。

絵になる街に住んでみたら楽しいだろうなぁ・・・

ちょっとだけ こころ動かされる そんな瞬間だった。
片隅の迷路・・・・・

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遅い昼食 またしても興味から 伊勢うどんを食べたくなって ここにきた。

観光店ではない 地元の人が食べる 伊勢うどんが食べたくなった。

店内は 私以外 地元客100%で 座席はうまっていた。
オーダーして5分10秒で出てきた品物がこれ。
以前私が 鳥羽で食べたものとは随分違ううどんだった。

なによりこの太さ。習字の筆より太い太さのうどん。
感触はもちもちと 搗き立ての餅のような歯ざわりとかみ応え。

ダシは悪魔のように黒いが 食べてみると天使のような絶妙の塩加減。

目をつぶって食べてみると 先入観なしに味わえる。
はっきりいって これは一般のうどんとは違う 「伊勢うどん」という独立した食べものなのだ。
帰りはもう一度 近鉄宇治山田方面まで戻り そこから国道へ戻った。

宇治山田と言う駅名は 内宮の地名「宇治」と外宮の地名「山田」の合わさったものだ。

「山田」は紀州徳川家の直轄地で 時代劇で有名な「大岡越前の守忠相」が山田奉行をしていたところ。彼はここを治めていたとき 紀州藩主 徳川吉宗に認められたという。

講談では イタズラで 魚泥棒をした藩主吉宗を捕まえて 見事藩主を裁いたことにより 吉宗自身から認められたと言う 愉快な話になっている。

帰路は久居まで走って そこからR163を使って伊賀上野へ抜けて そこから名阪国道(R25)にスイッチ。

五月橋で降りて 月ヶ瀬〜柳生〜笠置〜木津〜久御山〜山崎〜自宅と走りついで 帰って来た。
ツーリングの終わりは 最近恒例になった 大山崎インターでの一枚。

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高架道路に映えた金色の橋脚は 黄金の虹の架け橋のよう。

やがて自分も徐々に金色に染まり始めて しばらくたつとモノクロームの夜に包まれていった。

いずこもおなじ 秋の夕暮れ・・・・



ただいま。


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