携帯電話

母は癌でした。

C型肝炎から 肝硬変 肝臓癌 肝不全 10年間で少しずつ悪くなってゆきました。
最後の最後 痛みを訴える母の痛みをとるため モルヒネ投与をはじめ

それからは 母は機械で自動的に投与されるモルヒネに救われ 痛みもなくなり
安らかに眠れるようになりました。

ただしこの薬は麻薬で 最後の最後 死ぬ前に痛みを和らげる薬なので
これを使うということは 母の容態が死の直前であることを意味していました。

モルヒネを投与してからすぐに 昏睡状態が続きました。
我々家族は このまま母が昏睡状態のまま 逝ってしまうのかと 残念に思いましたが
痛みに絶えられず苦しむ母のことを思うと それもやむなしと諦めていました。

家族は1週間 単独でまた複数で 母の病床に交代で付きました。

1週間後の夕方6時 奇跡的に母は目を覚ましました。

それはまるで 自然に朝 目が覚めるように 1週間寝ていたことなど気付かないようで 
付き添いの私に向かって 「おはよう なんでここにいるの?」と言ったのでした。
この日は痛みもないようでした。

私と父は喜び ナースを呼び そして その後したことは 携帯電話を兄たちに 順番にかけたことでした。

母は意識不明だったことも忘れ ごく普通に兄たちと会話を楽しみ 笑い はしゃぎ 10分ほど話しました。

「けんちゃん 何で急に○○に電話したの? いつでも話せるのに」
「うん、声が聞きたいって 言ってたからね」

母の記憶は 1週間抜け落ちているようでした。

しばらく後 母は言いました。

「眠くなってきたから ちょっと寝ます。
また起こしてね」



それっきりでした。
2度と母は意識を戻すことなく 2日後眠ったまま逝ってしまいました。

通夜の日 兄は私にしきりに感謝していました。
「お前が付いていてくれてよかった」
「最後に お母ちゃんの声を聞かせてくれて ありがとう」

私はこの前年まで 携帯電話を持っていませんでした。
携帯電話なんか 必要ないと思っていましたし 電話に私生活を縛られるのも
嫌でした。
母が入院してから 嫌々ながら携帯を持ち それでもこの日までは
携帯電話が嫌いでした。


母の意識が戻った一瞬 携帯電話がなかったら 兄たちは末期の会話ができなかったし
母も寂しかったでしょう。

本当は今でも 携帯電話は好きにはなれませんが 母のことを思うと
感謝せざるを得ないことを感じています。

「一番いいのは 会うこと そのつぎにいいのは電話すること」
どこかのコマーシャルコピーですが 心に沁みる言葉です。

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