言葉の罠  2006/3/12

さて 2006年も3月になって 先の衆議院選挙から6ヶ月 感じたことを書いてみたいと思う。
何をいまさらという感じだが 熱の冷めたいまだからこそ 冷静に聞いてもらえることもあると思う。

先の選挙の結果は 自民党の大勝利だった。
自民党 というより 小泉首相のひとり勝ちだった。

小泉人気の余力はとどまることを知らず 自党の反対派や政敵まで押し流して
たった一人で当選票を稼いでしまった感がある。

マスコミなどは この大勝を捉えて 「なぜ」「どうして?」と選挙後などは やかましいことだった。

しかしこの大勝の本当の立役者は マスコミ自身 そして2番目が当の小泉首相だと思った。

それは 選挙前 そして選挙中のあるキーワードに 全て集約されていると思われる。

それは言葉の力

先の選挙の争点は 郵政民営化だった。
これについては 賛成派 反対派 賛否両論あって ここではあえて論点にしないが
賛成反対の論議以前の全然違う事柄で 勝ち負けが決まっていったとおもわれる。

ある言葉が 首相大勝の鍵を握っていた。

それは「造反議員」
誰が言い出したか 定かではないが 首相陣営かと思われる所から出たと予想される
この「造反議員」という言葉は 予想以上に独り歩きし 何もかもの判断の機会を奪ってしまった。

郵政民営化に対して 首相の意見に反対した 反対派の議員のなかには 
全面反対の人ばかりではなく 首相の強引なやり方にたいして もう少し議論をつくして
考える時間を作る為 とりあえず今はまだその時期ではないという主張で
 民営化するのを待って欲しいという意見を言う人もいた。

しかしこのような人も含め とりあえず首相に反対する議員は 敵とみなし 首相は権限を使ってこれら議員を追い出して「造反議員」という名前で呼び始めた。

これに乗ったのが 大多数のマスコミで 自民党のこれら反対している議員を
首相陣営の立場に立って「造反議員」という名前で呼び始めた。

「郵政民営化 反対派議員」という言葉なら その名のとおり 正確な事柄を表しているとは思うが 「造反議員」では いかにも悪者のイメージがつきまとってしまう。

彼らはそんなに悪いことをしたのだろうか?
首相の側から見れば 自分に反逆した人達は 自分の足を引っ張る
「反逆者」と判断するかもしれない(いささか乱暴だとは思うが)

しかしその言葉をそのまま使って 「造反議員」と色分け、決め付けてしまうマスコミは
どう考えても公正さを欠いているように思う。

マスコミなら当然公平でなければならないと思うが 片方の味方をするような このような表現は 使うべきではないと思うのだ。

某国営放送や多くの新聞各紙は 「造反議員」という言葉は使わず 「郵政民営化反対派議員」と慎重に言葉を選んでいたようだが 民放テレビや雑誌などは この「造反議員」という言葉を平気でつかっている場面に 何度も出会った。

これでは 首相のやり方に反対した議員は 一方的に悪者であると決め付けられているようなものだし そのお先棒を担いで宣伝したのは この言葉を使ったテレビ媒体や雑誌だ。

これらのマスコミを利用したムード路線で 多くの有権者は判断し 首相の味方をし 
結果 反対派を潰してしまったと思う。

首相はマスコミを味方につけるのが上手い 
前年 首相就任するときも 自分の政敵を「抵抗勢力」と決め付けて マスコミを味方につけてしまった。

2度も同じ戦略を使い まんまとその戦略に乗せられてしまったマスコミは
公正さを欠いていると思うが 案外 乗せられていると思わせて
積極的に首相の味方をしているのかもしれない、
などと 勘ぐってしまうほど 見事な結果であった。



私としては 政治的にどうだとか 特定の政党の立場に立って この意見を書いているのではない。
何党に属しているのでもない。

ただ首相のこの戦略には 恐ろしさを覚え また簡単に乗せられるマスコミや
ムードだけで善悪を判断する多くの有権者にも 恐ろしさを覚えるばかりである。

この国の国民は ヒートアップすると感情に流され なだれ現象のように 一方に流れてしまい とんでもない判断を下す傾向にある。
明治維新や 先の大戦のときの世の中のムードがその結果を表している。


結果 一番大切な「郵政民営化」という問題を たいした議論なしで なし崩し的に
決めてしまったことについて 返す返すも残念であるし 考えようとしない風潮も
恐ろしくもある。 

よく議論され その結果決まった郵政民営化なら 問題はなかったのだが。

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