大阪歴史博物館 2006/1/21
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![]() 7F〜10Fは常設展示館 6Fは特別展の展示フロア 手前は古墳時代の地層から発掘された建物(食物庫)を復元したもの。 難波の宮の時代の地層より 更に下の地層から出てきました。 |
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![]() 大きなスクリーンで 3分ほどの映画があり 古代の大阪の歴史と 当時の大阪の歴史的位置を 教えてくれます。 お勉強になりマス。 しかし 暗いなかに いきなり等身大の人形が現れてビックリしました。 |
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![]() この間 本当は大きな変化が 大阪の土地にあるのですが 中央の歴史には関係がないので 省略されています。 本当は この間海の底だった大阪市内が 海岸線の後退や 大川(淀川)の改修、 大和川の改修などで 次第に今の土地が現れ 広い平野を形成するのですが 長い間 大部分が湿地帯だったため 大きな都市としては機能しなかったようです。 やがて 近世になると 石山本願寺や 大阪城 そして天満 東町 西町ができて 町の体裁も整い 西町奉行 東町奉行 天満奉行の町割ができて 今の大阪の原型が出来上がりました。 八百八橋(はっぴゃくやばし)といわれる大阪は もと広大な湿地帯の名残を 表しているのです。 |
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![]() こちらでは特別に「文楽」と呼びます。 人形芝居を芸術にまで高めた芸能です。 その歴史は・・・・ 実際に行って確かめて下さい 当日は 人形芝居の実演があり 希望者は実際に人形を操作させてもらえるイベントがありました。 私は残念ながら 辞退いたしました。 (私が触ると 壊してしまいそうだったので・・・) |
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![]() ひじょうによく出来ていました。 芝居見物の人や 役者の歓声が聞こえてきそうでした。 町人の町 大阪らしくって素敵なジオラマです。 |
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![]() もちろん本物です。 くじらのヒゲをバネにして 部品として使ってあります。 |
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当時の大阪の心斎橋の町を再現した1/1のジオラマです。 昭和初期の街並みに迷い込んだような 錯覚を覚えます。 夜の街は風情があって 気分が高まります。 いまより無国籍都市の匂いがしてワクワクしました。 昔見た映画 ブレードランナーを思い出します。 |
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![]() 小学館って 今でも現存していますよね。 ロゴがいまと微妙に違いますが かえって面白いですね。 そういえば さっき四天王寺さんの古もん市で 同じような雑誌をみたなぁ・・・ きっと珍しいものだったに違いない。うん。 和ものの表記では 拗音を嫌い 「しょう」は「せう」になります。つまり「しょうがくせい」は「せうがくせい」と表記するのでした。面白いですね。(発音したら舌を噛みました) |
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![]() その向こうは 大阪ビジネスパーク(OBP)のビル群 大阪城を囲んだ杭みたいです。 まわりには何もありません。 バブル期に競って建てられたビルたちですが 後に続くものがなく まるで大阪城の主 豊臣秀吉の墓標のようにも見えます(ちょっと皮肉すぎるかな) 大都市大阪のこれが現実なのです。 |
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![]() ボランティアスタッフの方が ビルの下に保存してある 当時の建物の礎石の跡を 見せてくれ説明してくださるツアーで 結構詳しく 楽しいものです。 はじめに 博物館の下の遺構の説明があり(建物の下の礎石跡が ガラス張りで見えるようにしてあります) |
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![]() 普段は関係者以外立ち入り禁止の場所に堂々と入れる気分は なかなか気持ちの良いもので 貴重な体験です。 礎石跡の分布を見ると この場所は 飛鳥時代の役所の倉庫群跡らしいのですが かなり大掛かりなものだと解ります。 |
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![]() NHKの建物は この遺跡を上手く保存しながら 建っていることがよく分かります。 役所もこのようなところにお金を使ってくれたら 我々も納得するのに・・・と思いました。 ボランティアガイドの皆さんは 各フロアにおられて 懇切丁寧に説明してくださいます。 殆どは定年で仕事をリタイヤされた年配の方々のようです。(この方は違いますが) ご苦労様 そして ありがとうございました。 |
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![]() 場所は地下鉄谷町4丁目からすぐ。 車で行く時は 大阪城公園から中央大通りを西へ 谷町筋ぞいです。 詳細は 大阪歴史博物館HPへ |