好き嫌い

何でも食べる 悪食の代表みたいに思われている私ですが、(なんせ 妙なものがあれば 食べてきてくださいなんて 注文されたりします)
これでも 子供の頃は 人並みに(?) 好き嫌いがありました。

ウチの親兄弟は それぞれ食べ物の好き嫌いが激しくて 親父は魚好きの肉と野菜が嫌いの海育ち 母親は極め付きの京おんなで 偏ったものしか食べない古風な京風の好み 魚は昔からの京都人が食べる 鯖(若狭もの) グジ(白アマダイ) 若狭ガレイ 鯵 塩鮭 ニシンくらいで 肉類はあまり喜ばず あとは野菜と漬物 根菜類 そしてうどんと蕎麦が大好きでした。古風な人で チーズ ヨーグルト トマトは大嫌いでした。

上の兄貴は 母親の影響をもろに受けて 同じようなものしか食べず 魚は先にあげたものさえ殆ど食べず チリメンジャコとタラコが唯一食べられる魚モノでした。

京都というところは 昔は海から遠く 唯一入る動物性蛋白質といえば 高価な若狭ものの魚か 北海道産の塩干モノか 琵琶湖の淡水魚だったのです。

母親は 年寄りに育てられた為 明治のころの食生活が染み付いていました。

でも子供には 色々なものを食べさせようと努力して おかげで肉も魚も満遍なく食べさせられましたが その作戦が成功したのは私だけで あとの兄弟は母親と同じものを食べるクセが付きました。

好き嫌いの 比較的少ない子供に育った私でしたが やはり食べられないもの 食べられるものの嫌いなものは 存在しました。

まず刺身などの 生の魚は苦手でした。最近の子供は刺身を普通に食べますが 当時の子供は生の魚が食べられないのは普通でした。
あの生臭さ あの口あたりの気持悪さは 子供には理解不能でした。

それから 酢の物が嫌い。子供の頃は 美味しいと思ったことはありませんでした。
ですから 江戸前寿司なんて嫌いなものの代表でした。

大人の食べ物も理解不能で大嫌いでした。
湯豆腐 こんにゃく 大根の煮物 アラメ ひじき ワカメ とり皮 豚や牛肉の脂身など 口あたりの気持悪いもの 味のないもの 変なにおいのするもの(こんにゃく)など食べられないか 嫌々食べていたものです。

親の食生活が かなり閉鎖的だったので 牛すじとかホルモンなんて 食卓に上がることもなく レバー 砂ずり 鯨のベーコンも大人になるまで食べたことがありませんでした。

おでんには 鯨のコロも臭くなるからと入らないくらい かなり徹底した保守的な食生活なので かなり母親が気を使ってもレパートリーにないのですから そこは限界がありました。

しかし現在は 仲間が驚くほどの悪食で 大抵のものは食べられる「ゲテモノ」好きとも言われるくらいに変身しています。

大学に入って 居酒屋をうろつくようになると 「大人の食べ物」に出会います。昔嫌いだった食べ物も 酒のアテになると 本当の味が分かるようになりました。

悪友に連れてもらって ホルモンとかドテ焼(牛すじの味噌煮)の味を覚え マトンやラム肉の味を覚え 匂いの強い山菜を食べ 酢の物の美味しさも知り・・・・ともともとの好奇心の強さから 食べたことのない食材や 見たこもない料理は 必ず注文するという悪い癖を発揮して まさに悪食の仲間入りを果たしたのです。

このころ夢中になって読んだ作家で 開高健(かいこうたけし)さんの著書「あたらしい天体」という作品の中に 「新しい味覚の発見は 新しい星を見つけることに匹敵するくらい 素晴らしいことだ」というセリフがありまして かなり共感した部分があります。
(この言葉は フランスの誰かの言葉の引用だったと思います。。たしかブリア・サブァラン?やったかな)

旅と食と酒と釣とルポルタージュの作家 開高健さんには 自分ながらかなりの影響を受けていると思います。
食べ物や人に対して 偏見を捨てること。
なかなか実践するのは難しく いまだに偏見を捨てられない自分ですが 行動の指標として大切にしています。

昔の封建的なころの日本人の食生活では 禁忌だったもの 牛肉や豚肉など 仏教的に食べてはいけなかったものなども 現代人は食べるようになりましたが 内臓系 レバーやホルモンなどは ある種穢れたものとして 食べることを忌避したり これを食べる人さえ低く見る人もあり 偏見の食べ物として扱われています。

これらは 個性の強い食品ですから 好き嫌いは誰にもあって 食べられないのは無理のないことです。現代の日本人にでも かなりクセの強い部類の食品ですからね。

ただ 大人たちの古い因習をそのまま引きずって 次の世代の我々も これを食べる人たちまで低く見るのは どうかな と思ってしまいます。

若い世代の人は この点大分緩和されて もつ煮込みとか一時の流行もあって 拒否反応も減っているし偏見も緩和されてきたように思います。

日本人は 外来語に弱く 牛の胸腺肉の煮込みといえば 拒否反応を示しますが フレンチの 「リードボーのシチュー」といえば大枚をはたきます。
鹿肉や猪肉といえば ゲテモノ扱いをする人でも フランス風に「ジビエ」料理といえば ネクタイをしてドレスを着ていそいそと出かけます。


雑食記の本来のテーマは 食べ物を大切にして欲しい というメッセージなのです。
我々は 生きものを殺して生きています。
殺生をするなら 残らず無駄なく頂く事が 殺したものの責任なのだと思うのです。
私は 面白おかしく 食べ歩いたり 記述していますが 食べ物を残したり捨てたことはありません。
笑わせて 楽しくする努力はしていますが けして笑われる人になりたくないからです。
たかが食べ物 されど食べ物です。

追記
ここで言う好き嫌いとは 無理に嫌いなものでも食べなければならないと言っているのではありません。食べられないものは無理をすることはないのです。
私としては 食べ物 ひいては食べ物にまつわる偏見を言いたいのです。
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