青春桜 三重県松阪市 春谷寺  2006/3/31

冬から春に向かう切り替えの日 気の早い桜は花を咲かせ
慎重な桜は もう少しつぼみで耐える。
そんな日。
大阪北摂から奈良街道を南へ向かい 古都を過ぎ天理 橿原 桜井も越え やがて参宮街道(伊勢街道)へたどり着く。
ひんがしの野に かぎろひの・・・・
柿本人麻呂の歌に読まれたこの地だが 私のおなじみは 毎年覗きに来る 又兵衛桜。

だがこの日はまだ開花せず つぼみのまま。

雪が舞っているので 道の駅の待合室で しばしの休息。(道の駅 宇陀路 大宇陀)

エアコンがまだ働いておらず 暖かくはないが 寒風をしのぐには充分なスペース。

土地の老人にお聞きすると 昨日 一昨日と同じ天気で雪が舞っていたらしい。
今日は特に寒いと もらしておられた。

春よこい・・・・
20分ほどいたが 雪が止むのを待ちきれず R166伊勢街道へ 進路をむける。
寒いが このくらいは覚悟の上だ。

高見峠の登りで 粉雪はいっそう勢いを増してきた。
峠は大部分橋梁部分でできていて 深い谷を繋いでいた。
橋の部分は全部雪が溶けず そのままになっていた。
両足を出して 二輪二足歩行で超低速でそろそろ進む。
幸い路面は凍っていない。

高見トンネル直前の20mくらい手前のところで 下り車線の自動車がスピンして 横向きになって停まっていた。
それを避けようと 路肩にバイクを向けたとたん 私も見事にタイヤを滑らせ 勢いよく転倒してしまう。バイクは180度反転して 下りを向いて横倒しになってしまった。

凍結!
「大丈夫かぁ〜」
スピンしているクルマの運転手が 声を掛けてくれた。

「大丈夫ですー」
こんな時は 不思議となぜか痛くないものだ。

クルマは行ってしまったが 今度は私がバイクを立て直す番だ。

しかし 足元一面がつるつるに凍っていて 立つ事すら容易ではない。
バイクを立てるどころか 自分が踏ん張るので精一杯。

ここでバイクを置いて周りを見回す。
どうやら反対車線に 凍結していない場所がわずかにあるようだ。

そこで ハンターには悪いと思ったが 膝をついた姿勢のまま いざりながら 横倒しのままバイクを引きずって 反対車線まで引っ張ってしまおうと 悪戦苦闘する。

ステップを地面に擦りつけ ギギギッ ギギギッと嫌な音をたてて バイクを反対車線に引き寄せる。

よろよろと反対車線でバイクを立て直し ニュートラルにギヤを入れなおし キックするが
横倒しになっていた為か キャブにガソリンがあふれていて しばらくエンジンがかからない。

何度かキックを繰り返し か弱いエンジン音と共に エンジンがかかる。

その間 車は一台も来ない。

「たすかった!」


地元の人は ここが凍結しているのを知っているようで クルマの通行量が
極端に少ない。

おかげで助かった。
もし反対車線に車が来ていたら どうなっていたことか・・・・・・

残念ながら 転倒画像はありません。
そんな余裕はあるはずもない。
30kmほど下ったところにある 道の駅飯高駅
バイクの損傷部分を点検するが 大したことはないようだ。

荷箱のふちが割れてしまったのと エアクリーナーケースがちょっと剥げたくらい。

人間の方(私)は 右ひじを打ったらしく 触ると痛い。
ただ たいしたことはなく 骨折はしていないようだ。
当面は右手に力が入らないくらいか。

道の駅で お目当ての桜の場所をリサーチする。
勿論 礼儀として物品を購入するのは当たり前だ。

桜の場所は 現松阪市になった飯南町の 飯南高校の近くの「春谷寺」というお寺の境内にある桜だ。

導入部には 桃やらソメイヨシノやら 結構咲いていた。
山のふもとの小さなお寺だが 由緒があるのか 古いお寺のようだ。
桜は 推定400年を越えているであろうというエドヒガン桜。

この桜は 早咲きの桜なので ソメイヨシノより先に咲く。

電柱と庭木が邪魔をして ポジションが難しいが
人が少なく 楽しめた。


大きな画像

この桜は 通称青春桜というそうだ。
あでやかなピンク色が空に映える。

随分 枝を切られ 延命が図られている姥桜だが それでも精一杯生きていて けなげな花を咲かせてくれている。

生まれは江戸時代のはじめ

花(桜)の命は短くて・・・・
・・・・長いか・・・


1時間ほど桜のそばに居たが お天気が変わりやすく 晴れたり曇ったり 風も強く
野外にいるのは寒すぎるので 松阪の町まで降りることにした。

松阪市街の電柱には 数え切れないくらいの看板が下がっていた。

その多くは 有名すき焼き屋とステーキ屋の案内看板。
 和田金 牛銀 三松 

矢印で案内しているのだが 案内看板が多すぎて かえって道を間違えてしまいそうだ。

看板だけを見ても その競争は熾烈を極めているのがわかる。


一番の老舗のところを覗いてみたが 確かに良いお値段だが とても払えないくらいの値段ではない。実に上手い値段設定だ。

それに値段以上の値打ちがあるのだと思う。

ちょっと気持ちが動く。

だが せっかくのご馳走をいただくのなら 酒なりビールなりが欲しいところだが 運転して帰らなければならない身ゆえ それは出来ない。

次に泊まりで来ようと 自分に言い聞かせ 今の自分に一番あった焼肉店に向かうことにした。
松阪駅は山側が表玄関。

海側のほうは ひっそりしているが こちらが裏の顔になる。
表と対照的に 焼肉屋とか安い飲み屋さんが幾つかある。

表から見ると かなり庶民的で普段使いのお店はこちら側に揃っている。

今時 七輪で肉を焼くなんて おしゃれじゃないが 実質うまいのはこっちのほうだと思う。

あー やっぱりこっちでも ビールが飲みたい誘惑が強烈に来る(勿論 飲まなかったが)

ご飯でいただいたが 身が厚くて美味しかった。。

焼肉たこやん

食欲が満たされれば あとは帰るだけ。

もう 凍結路面はごめんなので 比較的標高の低い道を地図で探りながら 久居インター付近から
R165〜県道659〜R163(伊賀街道)と繋ぐ。

道中 榊原温泉の看板に出会う。
寄り道して風呂に入れば この寒さでは湯冷めするので諦める。

長野トンネル出口では 一部 凍結した路面を見る。
(ふー 危ない 危ない!)



やがて伊賀市(旧 上野市)松尾芭蕉と忍者の故郷。

道のそばの開けたところで 沈下橋があったので 立ち寄って遊んでみる。

原付にはちょうど良い幅と高さで 下を見るのが楽しかった。

こうして いつまでも少年の気持ちでいたいものだ。

伊賀市で交差するR25号は 原付は通行できない為 このままR163号を走りつなぐ。


やがて伊賀の国はお終い。
ここからはR163号も 大和街道と名が変わって 後醍醐天皇の御座所 笠置の郷へと入ってゆく。
京都府綴喜郡笠置町
笠置大橋の手前の交差点前。

ハンドルに取り付けた赤いタンクは 2代目シグボトル。

今度は穴が空かないように 赤いネオプレン製の布地のカバーでくるんである。

いまのところ 大丈夫のようだ。



笠置からは 家からの散歩コースに入る位の距離だ。
あと30kmくらいを 木津川に沿って 辿っていく。

私の家は この川が合流して 淀川と名の変わるところにある町。

帰りは少し暖かくなって 春の恩恵を受ける陽気になった。

右ひじが少し痛むが さほどでもない。
あと少し 我慢しよう・・・・・・・・・・16時帰着
    了

走行距離 35647ー35340=307km  

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