四天王寺縁日 2006/1/21

今日は大阪四天王寺の 弘法大師の縁日。

関西でも大阪以外の人は 大阪にも弘法大師の縁日のお寺があるのを 殆ど知りません。

このお寺の創建は 聖徳太子の勅願ですが 広いお寺は 弘法大師や 親鸞聖人 七福神や 弁天さん いろいろな宗派 神様仏様が あいのりしています。

まさになんでもありの大阪を象徴しているようで 私は大好きなのです。

庶民の信仰は このようにボーダーのないほうが 楽しく素朴なのではないでしょうか。
仏様の手のひらの上では どの聖人も等しく平等なのだと思います。

このお寺は昔から庶民の尊崇が篤く いろいろな聖人も多数訪れています。
弘法大師空海や 親鸞 一遍 など多数の高僧も ここで説法したといわれ その足跡があります。

左はここを檀那寺とする人の お墓を祭っているところ 毎月檀家衆は 21日におまいりする人が多く 線香の煙が絶えません。

右は戦没者慰霊堂 老若男女沢山の人達が参拝されていました。
もちろん私も ここへ来ると 必ずお参りします。

今の首相がなぜか 同じところにこだわって 近隣諸国ともめています。

本当に 英霊を大事に考えるなら ひとつところにこだわらず このようなところにもおまいりして欲しいものです。

日本各地には 戦争でなくなった人達の為 残されたものがお参りする施設が
お寺や神社また 宗教を越えた形で慰霊碑として お参りする施設が沢山あります。

あの世に祈りをささげるなら どこから拝んでも同じなのではないでしょうか。

また 祈りをささげるのは 人間個人がするものであって 肩書きを盾にしてするものではありません。

こうした首相の行為は 祈り半分 残りは政治的匂いがして(私個人の見解ですが)かえって戦没者に失礼ではないかと このごろ思います。

もちろん 首相の主張が必ずしも間違っているとはいいません 正しいと思うことは 堂々と主張すればいいのです。

ただ このような主張がしたいなら このような形ではなく 違う形があったと思うのです。
今のやり方は 首相個人の人気取りと日本を孤立させるのが目的か?としかみえないことが とても悲しいことです。

(私はどこの政治組織にも属していませんし 宗教関係者でもありません 私の文章が不快だと思われたら メールをください。納得すれば 削除いたします)

古物市 北側通路 亀井堂 ご存知ピリケンさん
♪ ハイミー ささっさー おこのみやき屋さん 仏像まで売り物になる 女優の写真
木のおもちゃ ピンクレディーの弁当箱(1500円) 衣料品なんでも2枚500円

当日は初弘法ということもあって 人人人・・・

参拝に訪れた人や 露天市を目当てに来た人でごった返していました。
露店を出している人も 大半はプロの人で 香具師や古物商 この日だけ出てくるリサイクル関係の人 刃物売りや仏具売り 鉄道忘れ物市 などガレージセールのノリなのです。

大昔は どろぼういちの名前もあったそうで 市中で盗まれた下駄の片方が ここで売りに出ていたという 面白いエピソードが あったとかなかったとか・・・・(伝説のようなものですよ)

京都の弘法市と較べると あちらは土地柄か 本物の骨董品やアンティーク(その住み分けは私には分かりませんが)など 古物的価値が優先され 集められていますが こちら四天王寺弘法市は 生活雑器や おもちゃ 趣味の道具など ちょっと古いもの いわゆる中古品が多く 古着売り場などはバザーの様相を呈しています。

古物市をひととおり周りましたが めぼしい物はなく お目当ての中古カメラは本物のガラクタばかりで 少し落胆しながら まあ いい運動になったので よしとしましょう。


一心寺さんに向かう だらだら坂を降りて 新世界へむかいます。
鎌倉時代までは 四天王寺さんの門前から今向かう 西方向の 新世界へ向かう坂は 海の底でした。

古代大阪は 四天王寺の周りの低地は全部海の底で 唯一四天王寺から難波の宮(大阪城の北側)までの北へ向かう上町台地だけが陸地だったのです。

広大な大阪市は ほんの千年前は 殆どが海の底だったのです。
いま上町台地から西側には 雰囲気のある名前の坂が 沢山あります。
真言坂 源聖寺坂 愛染坂 口縄坂 清水坂 天神坂 逢坂 (天王寺七坂)
(口縄(くちなわとは 古語で蛇のこと)

わずかに陸地だった 四天王寺のある上町台地は 奈良の平城京や京都の平安京より ずっと古く飛鳥時代の都 難波の宮があったのです(飛鳥時代&奈良時代)

・・・・とウンチクを語っているうちに 坂ノ下(つまり昔の海の底)の新世界 丸徳に 到着しました。

厨房から外を見る おかあちゃん 元気でながいきしてやー
泡盛とゴーヤ  ホルモン煮込みを食べていると 引退した店主の妹さんが 遊びにこられていました。
「おばちゃん ひさしぶり」「うん、ありがとう 久しぶりやね」
たぶん 私のことは常連じゃないので 憶えておられないでしょうけど 私は忘れません。

足を悪くされて 引退されて いまは隠居暮らしだそうですが 昔の面影そのままで 鉢巻をされて白いエプロンをされたら いまでも働けそうなくらい 元気そうにされていました」

おばちゃん お体を大事に 長生きしてや!

丸徳は 最近の新世界の串カツブームで 客足が減り いまはひまひまだとか。
新年会の時に 寄ればよかった。。
こっちも頑張ってや!!

さてこの日は もう一軒見学コースがありました。
それはまた 続編で・・・・ひっぱるなぁ・・・:(笑)


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