四万十ぶらぶらC  最終日


やっぱり高知ユースのご飯は豪華なのだ。
どこやらの夕飯みたいじゃないですか。

私は朝食は ご飯じゃないと力が出ない人なので この朝食は感激。

しかも 夜も朝も野菜たっぷりの 手の込んだものが出てくるので 感激してしまう。

普段自分の朝食が いかに粗末なものであるか 思い知らされてしまう。(もちろん自分で作っているのだが)

宿を早めに出て室戸岬方面に向かう。
高松周りは混みそうだし 阿波池田まわりで 徳島〜和歌山という手もあるが 山越えは多分冷え込んで寒いだろう。

唯一暖かいルートといえば 最南端を周る室戸岬コース。パルサーさんに連絡すると いままだホテルに居られるそうで ゆっくりしてから 同じコースを帰られるらしい。


影が長く伸びるのは 太陽の位置が低く差し込んでいるから。

つまり早朝だということ。
ちなみに青っぽい写真は朝撮ったもので 日中は自然色 夕方になると赤く発色する。

写真をみても ある程度の時間は分るものだ。

コースは室戸岬には向かわず 奈半利から山越えするショートカット路に入る。

奈半利から山に入ると すぐの集落に 幕末の志士中岡慎太郎の生家と その記念館がある。

帰りがけ 高知でどこか博物館か資料館を見学しようと思ったが 候補に挙がった 自由民権記念館や 絵金蔵などは どこも時間が合わず 前から来てみたかったここに立ち寄ることになった。

ここは他をおいても来たかったところだったので 念願がかなった思いだ。


坂本龍馬や板垣退助に比べ 中岡慎太郎という人は 他県ではやや知名度が低く思われるが ここ土佐東部では 人気のある人のようだ。

ただ早逝してしまった為に 表舞台で活躍した期間が短く 知られないことは残念だが 当時から地元の人に愛され 勤皇の志士だけではなく 一般の人からもその死を惜しまれた人柄は 異色の人物だと思う。


中岡慎太郎は この地方の大庄屋の息子であり 身分的に見るなら 下級武士の更に下に位置する身分の人であるが 千何人の農民の上にたつ人として かなりのリーダーシップがあり また学究の徒であったらしく、人望厚くまた行動力のあった人らしい。

この看板の写真が 中岡慎太郎その人であるなら 子供のような屈託のない笑顔に その魅力を感じてしまう。

彼に興味があるなら 一度ここを訪れるといい。
ここの看板の写真は もう一枚カメラを睨み付けた写真もあるが 私は外においてある この写真が好きだ。

中岡慎太郎は 坂本龍馬と共に 京都近江屋で幕府方に襲撃され 数日後に死去
京都東山の霊山歴史観(霊山観音)を見下ろす山の中腹に 坂本龍馬とともに並んだ墓石がある。

中岡慎太郎記念館でゆっくりしていて 随分時間が経った。

近道しようと 半島の反対側へ出る山道を選んで バイクを進めたのだが これがひどい道だった。

奈半利川沿いに道はどんどん登ってゆき かなりの深い山に道は進んで行く。

寒さはそれほどでもないが 人家はなく 対向車は一台も来ないことに不安を覚える頃 それは現れた。
道の真ん中に 交通警備員が現れ この先の時間交通規制を知らせてくれた。
「11時から50分間通行規制にはいり その間通れません」 「規制場所はこの先ですが 今から行って間に合うかどうか 微妙です」

今から来た道を戻るか 規制解除まで50分間待つか それとももっと山の中に分け入って 奥物部村から徳島に向かうか・・・・

どれも時間がかかり 船の時間に間に合わないだろう。
だめもとで とりあえず通行規制場所まで急いでいくことにした。

「とりあえずいけるところまで行きます」
作業員はそれで納得されるなら・・・と苦笑いしていた。

案外規制場所までは道も広く走りやすく ちっちゃいバイクでキビキビ走ると 工事箇所が見えてきた。

そろそろパワーショベルが動き出し 作業員が動き出すところだった。
「セーフ!」
作業場所を通りすぎると ジャスト11時だった。
こちら側にいた作業員も苦笑いをして見送ってくれた。

しかしこれから先が また大変だった。夢中で走っていたため気がつかなかったが かなりの高度を稼いでいたらしく 峠を越えたとたん 2速3速じゃないと下れないような坂道が ずっとずっと下まで続いていた。
やっと半島の向こう側まで降りたときは 随分時間が経っていて 遠回りした愚行を悟ることになった。

少し走った所にある 道の駅日和佐では 徳島の名物 阿波踊りのデモンストレーションが行われていた。
道の駅でご当地ソフトクリーム 桜味をゲット。
ほんと寒いのに 我ながら好きですなぁ。
寒すぎて 手に鳥肌が出ているというのに。

食べてみたけど 特に印象に残るということもなかった。

この手のアイスは 最近はどこでもあって よほどのインパクトがない限り(変わりものとか)記憶に残らない。

ご当地アイスを作っている人 期待しています。

道に迷いながら やっとたどり着いたのが 徳島港フェリー乗り場。

さりげなく目立たないので いつも通り過ぎてしまうし 県民も関心がないのか知らない人も多い。

県庁ちかくのガソリンスタンドで 場所を聞いたら「知らない」といわれたのには ちょっと驚いた。

車のトランクに写った 愛車に乗ったブロス氏(笑)
えらい格好でバイクに乗ってるなぁ。

フェリー乗り場に到着したのは 出航10分前。
ドライブスルー方式の乗船手続きだったので 何とかギリギリ乗船に間に合った。

ふう。

例によって 多分我々バイク乗りは 最後に乗せられる。降りるのも最後だろう。

この緑の鉄板(通路)の下は 海面になっている。
飛行機でいうなら タラップというところか。

こんな場面まで写真に撮れるのは稀。

見ている皆さんにも なんとか臨場感を伝えたいと思ったから 撮ってみた。

暗い向こうはフェリーの船倉であって サンダーバード2号の格納庫ではない。
抜けるような空は どこまでも続いているようだ。

雲ひとつない空 とはこういう空を言うのだろうか。

世の中には こうして空きフロアにごろっと横になって 寝そべることが出来る人間と 気持ち悪い 或いはきたない 或いは行儀が悪いなどの理由で 横になったり寝たり出来ない人間がいる。

そのどちらが正しいとか そういう見方は私は出来ないが 自身は前者の人間なので こういうところで熟睡できる。

ただこの日は 人が多くて寝るスペースがなく しばらくうろうろ寝る場所を探したが どうしても船内スペースには見つからず 困ってしまった。
この船はデッキがあって 外で喫煙する人なんかが 吹きさらしの中 座るベンチが沢山ある。

この日は風が強く寒かったので 座る人もなく ベンチは寒々としていた。

このベンチよく見ると 隣との連結部分がフラットで 横に寝るには都合がよさそうだ。

早速横になることにした。
なるべく陽の当たるベンチを選び 背もたれの部分で風を避けるようにして 丸まって眠った。

人が多いときは 迷惑だろうが 寒すぎて他の人は船室に入って出てこないため 今日は私一人。
靴を脱いでベンチの上で失礼して2時間近く眠った。
疲れを残すと帰りの道中に影響する。

みなさん ごめんなさい!

16時過ぎ 船は和歌山に着き 下船の支度に入る。
やっぱり我々最後に乗った一部のバイク乗りは 一番最後の下船になった。
一緒に降りた大型スクーターと リッターバイクは 大阪方面へ。

私は徳島で食べ損ねたラーメンを 和歌山で食べる為 和歌山市内へ向かう。


街中をうろうろするが お目当ての 以前食べて美味しかったラーメン屋 山為食堂が見つからない。

たしかお城の北側だったように記憶しているが・・・・

見つからないので とりあえず繁華街で ラーメン屋を捜すことにする。

中ぶらくり丁で見つけたラーメン屋。

特に目立つという感じではなかったが ショーケースのなかに 瓶コーラを見つけて思わず入った。

最近見かけなくなった瓶コーラ。
私は大好物なのだ。

缶コーラとも 最近売り出したコンビニのスクリューキャップの瓶コーラとも違う 昔懐かしい王冠キャップの瓶コーラがお気に入りなのだ。

人に言わせると 「なーんもかわらん」というけれど 私にはやっぱり味が違うように思われて あったら進んで飲んでしまう、特別の飲料なのだ。

脇役のラーメンはこちら。
山為食堂のラーメンからすると 随分あっさりしている。
とりあえずトンコツ醤油のようだが トンコツ以外になにか味と匂いがする。

何かと思ったら サイドメニューにある すじどて(すじ肉の煮込み)の匂いがする。

麺は細麺で 特に可もなし 不可もなし。
普通のラーメンだが 山為食堂を期待していただけに インパクトは少ないが だからといって悪くはない。あっさり好みなら 好かれるかも知れない。

サイドメニューにおいてあった 鯖のはやなれ寿司が 上品な味でなかなか美味しく 瓶コーラと共に印象に残った。

これだけ目当てにまた来るかもしれない(笑)

ラーメン屋捜索と その後の瓶コーラ賞味会で 時間を食ってしまって 帰る時間が遅くなった。

国道26号を帰るが 和歌山市内から 大阪府に入る頃には 車の渋滞の列にはまってしまい、なかなか前に進めない。

暗くなってきて 道を誤ってしまい 広いバイパスに入らず 旧道をあてどなく進む愚行を犯してしまう。


気がついたのは 貝塚市二色浜にはいってから。

迂回路を使ってバイパス路まで向かい、走り出したときは バイパスも渋滞中だった。

すり抜けと 元気の良い走りで なんとか中央環状線にはいり 移動速度は飛躍的にアップする。

フェリーで仮眠した(熟睡した?)おかげで 疲れることもなく体は軽い。

高槻市の外環状線の終点近くの 吉野家さんまでたどり着いた時は 8時近くになっていた。

ラーメンは昼食 こちらは晩飯ということで 遅い豚丼でシメにする。

どうせ帰っても うちには夕飯の用意がない。


ウチに着いてから パルサー氏に連絡。
「かえりました」

彼は私の乗った船の次の便 2時間後の船に乗ったらしい。

お互いソロライダーだから 現地集合現地解散が良い。突然のサプライズも たまにはいいもんだ。

3桁表示のトリップメーターは まだ一周しておらず 944kmを示していた。

川を巡りながら 沢山停まって沢山写真を撮って のんびりした旅になったおかげで 疲れ過ぎることもなく 精神的にも負担が少ない旅だった。

これくらいの距離なら 後に続く人のツーリングの参考にもなり モデルコースとして使えると思う。
もし四万十川方面へいかれるなら 参考になるかもしれない。

寒い日のデッキでのベンチの昼寝は お勧めできないが・・・・・・(笑)


初日 翌日 翌翌日 最終日

戻る