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2006/5/1

夜があければ 九州の玄関口新門司港にフェリーは到着します。

早朝の到着が苦手な人も多いですが 私は大丈夫 ツーリングが始まれば 誰よりも元気で 一日中スイッチがON状態です。

排気ガスがこもる為 ゲートを開けてくれたおかげで めったに見られない 目の高さからの洋上での港の風景を見ることが出来ました。
さあ ツーリングのスタート。

乗用車が先に出て そのあとがトラック。最後にバイクが下船します。

バイク乗りは クルマやトラックのアイドリングの排気ガスを全部吸い込むことになるので 我々が下船ゲートへ降りるのは 最後でいいのです。

とはいっても 誰もが降りて 私が最後の下船になったようです。

昔は我先に下船したものですが いまは焦りも緊張もなくなり ゆったり最後に降りるクセがつきました。

そのかわり ライダー達の様子をつぶさに観察できるので 第三者の目で ツーリングを眺めることが出来ます。

ツーリングレポーター(勝手に命名)は こうでなくちゃいけません。
新門司港の建屋は 大極殿のような建物です。

船を下りたところで 昨日乗船時にお話した 関東からのライダーさんに 再会しました。

同じカラーの同じバイクに見えますが 一台はオリジナルのCB750Fで もう一台は 先ごろでた復刻カラーの現行CB750です。

よく出来ていて 近くで見なければ判別がつかないくらい よく再現されています。

どっちも格好がよくて やはりCB750Fは 古さを感じない時代を越えたバイクなのです。

お二人は これから南へ下られるとのこと。
つかの間の会話でしたが さわやかな楽しい二人連れでした。

お気をつけて!

さて へそ曲がりな私は 北へ向かい せっかく来た九州を後に 関門トンネルをくぐります。

関門橋なら景色が良くて 最高の走行になるのですが 今日は経費節減。

トンネルをくぐれば そこは本州。

海を左に見て 山口の海岸線を時計回りにトレースします。

途中すれ違うのは 本州を遙々日本海側を回って数百キロあまりを走ってきた自走ライダー達。

彼らはノリが良くて みんなピースサインをしてくれました。

旅気分が高まってきました。

市街を通り抜けると ゆったりとした時間が流れています。 
でも道路は比較的はやい流れで流れています。
左に目をやると そこは海

東シナ海は はるか大陸に繋がっています。

こんな長い海岸線を持つ山口県は 国の守りもたいへんだろうと思いながら 穏やかな海を眺めて走り抜けるのでした。
山口県の道路は 他県にはない特徴があります。

それは ここのガードレールだけ なぜか 黄色なのです。

どこかの黄色好きの人が聞いたら とても喜ぶでしょうね。

ただし最近は この不文律も崩れてきて 他所にあるようなアルミ素材むき出しの灰色のガードレールも増えてきました。

いま黄色のものも 塗り替えずに放置されているものが 多数見られます。

旅人には とても興味深く 一度訪れると懐かしい気分になる このガードレール。
これからも 残して欲しいなぁ。
海岸線をゆっくり流して 長門 萩と走り抜けました。
今回の最初の目的地 小京都 萩。

いまは 県庁が山口に移り 静かなそして寂れてしまったような町ですが 百数十年前は 明治維新の原動力になった 沢山の志士を輩出し 台風の目になった歴史的な地なのです。

ここは 吉田松蔭の寓居後にできた 松蔭神社の中にある 松下村塾です。

明治維新はここから始まっているともいえます。
神社内にある吉田松陰歴史館にも入りました。

松蔭の一生とその業績 そしてこの塾から 日本を作り上げた人達の資料など わかりやすく解説するため 蝋人形などを使って 劇場的な演出がしてあります。

ただし やや見世物的な見せ方がしてあって(失礼) もっと本質的な 維新のこと 長州人からの「近代日本の創世」 みたいなものの説明がやや足りないと思いました。
蝋人形の山形有朋と 伊藤博文。
この人達は 維新後も活躍した為に 壮年のときの顔が資料として残っており 本物の迫力があります。
 伊藤博文は 初代首相。
長州は 日本で一番総理大臣を輩出している地域です。

その伝統はやはり 維新の立役者 旧長州藩から出ているのだと思います。

山形有朋は 旧陸軍を整備 育てた人。
そして長州の陸軍閥を作り上げた人。
旧陸軍に尊皇攘夷的伝統を伝えているのも この人の影響だと思われます。


萩に来たもうひとつの目的は 夏みかんの捜索でした。

近頃は 優良種の甘夏柑や紅甘夏に押され 栽培農家が姿を消しましたが ここ萩には伝統的に少しだけ 栽培されていると聞いたからです。

夏みかんは 夏ダイダイというのが本当の名前ですが こちらの特産で昔は沢山栽培されていました。

元は 毛利藩が奨励して 生垣や庭木にしたそうで 合戦の時の兵糧に使う為植えたのだそうです。

それが明治維新になってから 萩藩士が職を失い窮乏した為 破産した家や移転した家の空き地を利用して 夏みかんの栽培を進め 一時はかなりの数の栽培面積があったそうです。

萩の人はその伝統を守り 少量ながらも 夏みかんの苗を大事に残しているのだそうです。

ここのジュース かなり甘夏柑の割合が多いようで甘かったですが それでもさわやかな初夏の味を堪能することが出来ました。(夏みかんは本来は口が曲がるくらいとても酸っぱいものです)
街中を数軒周り 本物の夏みかんを探し回りました。
やっと手に入れたのは お城の近くの土産物屋。
他所の店は まだ早くて出回っていないといわれたのですが この店ではいわくありげな顔で そっと倉庫から出してきました。

やっとめぐりあえた夏みかんでしたが どうやらこれはかなりの雑種で 真正の夏みかんではないと思われます。
 評すると 甘さに乏しい甘夏柑だと思います。

子供のころによく食べた夏みかんは もっと酸っぱかったし 第一大きさも柔らかさも 色も皮の厚みも 実の色 みずみずしさ そして酸っぱさの質が全然違いました。

せっかく行ったのに 本物に出会えず残念です。

私は変わり者で 柑橘類の酸っぱさが大好物なのです。

ただ 歴史の街 萩の蜜柑を味わえたことは なによりの収穫だったので 今回は我慢します。
暑くなってきました。

前日までは寒く 冬用のジャケットを着込んできたのですが 今日は一気に夏の陽気です。

みるまに温度は上がり 夏用のインナーに着替えてしのぎます。

この時期は 気温変化が激しく ジャケットの予備も沢山必要で 荷物が増えて困ります。

とんぼ返りで 下関〜門司と帰ってきました。

気がつけば 門司ベイエリア。気がつけば銭天街。
遅い昼食は 門司のフグを味わうことにしましたが、緊縮財政のため コストパフォーマンスの高い回転寿司へ。


海峡プラザの裏の「海人」という海鮮料理店へ。

地元のライダーに教えてもらった店でしたが 一皿 300〜500円くらいで 珍しいネタの寿しにであえる財布に優しい店でした。

画像はフグの白子 軍艦巻き
ほんのりあったかく フグの香りが濃厚で これだけで満足する一品でした。

珍しい寿しばかり4種類と貝汁で 1750円。
なんとか予算内で納まりました。
さてもうひと走り。混雑するR3号を避けて 小倉からR200号へ。

バイパス路は高速道路みたいですが 速度はやや抑えめで走行します。

鳥栖から東進して佐賀の町へ。

もう夕方でしたが 旧佐賀城にある本丸歴史館に駆けつけました。

ここは夜8時まで開館しているらしいです。

ここも明治維新の立役者が沢山出た県の資料を見学しましたが ここは他所の志士の県とは違って 藩主が一番活躍したともいえる 異色の県なのです。
維新で大いに活躍し 歴史を開き 幕府を怖がらせた アームストロング砲(洋式大砲)

佐賀藩は藩主の指導の下 大砲を自前で作るくらい 工業力が進んでいました。

それは維新の立役者 長州藩 薩摩藩より はるかに進んでいました。

佐賀藩は幕末 最初はただ黙って動かなかったのですが 薩長同盟後 急に薩長側につき参戦しました。
佐賀藩の武器や工業力がなければ 薩長はあんなにすんなりと勝てなかったでしょう。

鍋島藩 侮りがたしなのです。
遅くなりましたが 予約がしてあったので 安心して宿に向かいました。

佐賀県青年会館ユースホステル。
隣は県立体育館や運動場。

文武両道で県をあげて青年の育成に力を入れているところは このように武道館や体育館のそばに 若者の宿泊施設(合宿所)を設けているところが多いようです。

それがユースホステル兼業のところも 多く見られるようで ここもその方式ですね。
今日の相部屋の方は 大阪から来られた ホンダシャドウの年配のライダーさん。

気ままに10日間くらいかけて 九州を回られているようです。

殆どキャンプ&野宿で回られているそうで 時間が有ればこのように気ままに旅ができるとおっしゃってました。

雨っぽい今日は ユースに泊まって洗濯に励むとか・・・

この方は夜いろいろとお話を聞かせていただき とても為になりました。

私の知らない 居合い抜きの話 捕縄術の話 焼き物の話など 初めて聞くことばかり。

どこに居ても 誰にあっても あちこちに先生はおられるものです。
新しい知識を持っている人は 自分にとって誰もが先生です。
宿では食事の予約をしていなかったので 外へ夕飯を食べにでました。

ユースの近くにラーメン屋があって美味しいという情報だったので 行ってみると 適度な濃さのトンコツラーメンに出会えました。

久留米に近いためか 博多ラーメンより濃く 久留米より薄いというスープは 私にはちょうどよく美味しくいただけました。

ここは店員も 威勢がよく愛想もよく 配慮が行き届いていて 気持ちよく食事ができました。

ラーメンも気配りができていて 期待以上のものでした。

長州 佐賀と周り 次は薩摩といいたいところですが そのまえに維新の立役者が足繁く通った長崎に行ってみようと思います。
いったい長崎にはなにがあるのやら?

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