2006/5/2  佐賀〜長崎

早朝からの出発。
ユースの朝食は頼まなかったので 手頃な食堂を探すと 佐賀県青果市場が目に入りました。

そこの市場内の食堂で 朝食を食べることにしました。
名前は まんま市場食堂。

入ってみると 当たりでした。
焼きたての鯵の開きと 野菜の煮物 漬物 九州味噌の味噌汁 目玉焼き ご飯つきで550円。

ユースの朝食より安くて 緊縮財政のライダーには 財布に優しい朝ごはんでした。
焼きたての鯵は 地元佐賀のもので さっぱりした美味しいものでした。

食堂の店主さんは 私が旅人だと知ると お土産に近くの武雄温泉の無料入湯券をくれました。
入湯料は300円なので メシ代は差し引き250円ということになりました。

「早起きは三文の得」ですね。

30分ほど走って武雄温泉にやってきました。
珍しい形の門をくぐると 立ち寄り湯の「元湯」がありました。
なかなか風情のある温泉で 構造は別府の竹瓦温泉のように 浴室が半地下になっており 浴槽から脱衣室が丸見えになっている為 盗難などの警戒には有利な構造になっています。

朝から温泉に入り 鼻歌交じりに隣の足湯などを見て周り ゆっくりと有田へ向かいました。
有田ではGWのこの時期 陶器市を開催しており 早朝から賑やかな声が聞かれます。

まだ朝の9時だというのに 沢山の人が町を歩いています。

ちょうど国道すじから 町のメインストリートへ入り込み そこから陶器の並んだ街並みを エンジンを切って惰性で流しながら 町をゆっくりと見物しました。
長い長い坂道は 最後までエンジンをかけることなく 抜けてゆくことができました。

残念ながら 割れ物の陶器はお土産にはならないですが 沢山撮った画像がおみやげになります。
有田の街を抜け 伊万里も駆け抜け やってきたのは東シナ海に突き出した町 平戸へやってきました。

ここは長崎より先に世界へ開けた町。
残念ながら 幕府の圧力により 徳川期には無理やり鎖国させられますが 町のあちこちに 貿易と倭寇で有名な 松浦水軍の史跡が見られます。
平戸松浦資料館

平戸の藩主は元海賊の松浦氏。

ここの一族は 海賊の末裔であり 倭寇とも繋がりがあったりと北欧のバイキングみたいな殿様ですが 徳川幕府が鎖国政策をとったため 強制的に平戸藩も鎖国させられ ここにあったオランダ商館も長崎へ強制的に移されて 貿易の利を失ってしまいます。

それでも町のあちこちには 異国の文化が香り キリシタンの遺跡や 異国風のものが残っています。

松浦家の資料館は そんな平戸藩の様々な宝物を展示する博物館です。
受付兼案内の女性が きりっとした美人で 胸がときめいてしまいました。

実はここに入る道路が なかなか入りにくく急坂で車が通行するのに 難儀するのですが
道路の途中で路上駐車する車があり それをどけてもらうのに 受付の女性が毅然とした態度で交渉されていて その堂々とした態度で この方はいずれか名のある家のお嬢様ではないかと思いました。

・・・・と町人のせがれは 憧れの眼差しで眺めるばかりでした(笑)
館内は 撮影禁止です。

平戸松浦資料館HP
お昼を過ぎ噂の佐世保バーガーを捜して佐世保の町に入り込みましたが 下調べもなく行き当たりばったりで行ったので 街中を迷うばかりでお目当てのバーガー店に行き当たりません。

思ったより大きな町で 迷ってしまったので 捜すのを諦めました。

佐世保の町を外れると 道路沿いによさそうな店を発見しました。
あれだけ捜して見つからなかったのに 捜すのを辞めたとたん目の前に現れるなんて 皮肉なものですね。

お昼を過ぎて 私も空腹でしたが 味はしっかり覚えています。
食べやすくて美味しいハンバーガーでした。
(画像をクリックすると 佐世保バーガーにリンクしています)
腹も膨れたので 気分よくツーリングを続けます。

佐世保の景色は素晴らしく 多島海を上から眺めながら走れる国道は最高の気分を味わえます。

やがて小さな海峡 西海橋を渡ります。

まるで鳴門の渦潮を眺めているような そんな景色が橋の上から見えます。

この日は風が強く 海の透明度は良くないのですが 白波がたつ鉛色の海 風に飛ばされそうな木々などが 旅情を掻きたてます。
バイパス路から上手く長崎に入りました。

何度も来ているので すんなりと市内の中心まで来ることができます。
出島ワーフ。
港に面した食べものやは 海産物中心のシーフードマーケットと食堂。

珍しいものから お馴染みのものまで 長崎の味が揃っています。

店の構えや品揃えは 観光客を意識しているようです。

腹が減っていないので見るだけ。
中国風の派手な船が港に浮かんでいました。

長崎の高台にあるグラバー邸は 今は三菱造船が所有し 広大な敷地に 長崎の主だった洋風建築を一堂に集め 建物の博物館を開いています。

それは名をグラバー園といい 広大なテーマパークになっています。

園内には瀟洒な洋館が立ち並び 本物の迫力を感じさせ、観光客を唸らせます。
百数十年前 当時のグラバー邸には 勤皇の志士達が数多く訪れ グラバーの庇護のもと イギリスへ行く手助けをしてもらったり 武器の輸入の相手方になったりしました。

グラバーは 日本が開国すれば商売の為になると 彼らに肩入れし 資金を貸したり武器の調達をしてやったりしました。

後年 彼は金儲けというより 勤皇の志士に入れ込みすぎて 度を越してしまい 貸付金の回収が滞り やがて彼の貿易会社は倒産してしまいます。
グラバー邸にあった 坂本龍馬の等身大の写真。
龍馬もやはり 仕事の手始めにグラバーの力を借りて 貿易商をはじめる。
会社名は「亀山社中」

なにやら踊りの連の名前のようですが 官吏や政治家ではなく 貿易商になりたかった・・ などという噂が飛び交っている龍馬には ふさわしい名前のような気がします。

人を切ることではなく 人を結びつけ話し合うことで 日本を開こうとした龍馬には いかめしい名前は似合わないと思うからです。
グラバー邸からは 長崎の海と町が一望できます。
海の向こうには 大きな船が見えます。
あたりを見回すと 沢山のドックがあり 修理中のや 作りかけのタンカーがあちこちに見えました。


海と町と港と船と・・・・

やがて夕方。

とても贅沢な景色が きらきら光る夕景の中で 赤やオレンジの反射をうけて 輝いています。

この海は誰の海・・・?
今この景色を見ている人のもの。
百数十年前の今日は 龍馬たちの海だったかもしれない・・・・

2006年の今日 同じ海をみている不思議。

今日の宿 長崎カトリックセンターユースホステルは 大浦天主堂のそばにありました。

このユースは夕食の提供がありません。

美味しいものが沢山あるこの町なので かえって好都合なのですが しかし少しお酒を飲みたいときは バスで町まで出なければならず やや不便です。

私は路面電車に乗りたかったこともあって 電車通りまで15分歩き JR長崎駅まで行きました。
チンチン電車に乗って 旅人ではなく この町の住人になりすまし別人になろうと努力してみます。

何となく駅に行かず 長崎バスセンターに行って 知らない地名の行き先の バスのダイヤを訳知り顔で眺めて 次に来るバスを調べたりします。

バスセンターの近所に 面白いディスプレイの皿うどん屋があって いつも覗くのですが(覗くだけ) 8時でもう閉店していました。

この店の前には いつも野良猫がたむろしていて 以前見憶えのある(ような)猫を見て 呼んでみますが 当然無視されました。

トルコライス名物皿うどんは 最初から食べる気はなく 今日の目当てはこのトルコライス。

名前の由来は微妙で カロリーもかなりのものだが 旅の料理はとにかく何でも食ってみる主義なので 当然注文して食べることにしました。

味はまずくはないけど この店も9時閉店。
8時20分に入ったら いきなりラストオーダーだといわれました。(まだ何も頼んでないのに)

駅前だというのに 健全すぎないかい 長崎さん。
トルコライス↑


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