2006/5/6 別府〜佐賀関〜三崎=八幡浜〜宇和島〜檮原〜高知
さすがに眠いですが、ツーリングのときは鉄の意識が働いていますから、もうちゃんと覚醒しています。 朝起きて気がついたのですが 12畳の部屋に7人寝ていました。 みんな熟睡しているようです。 皆さんに お別れの挨拶をしたかったのですが、起こすのも悪いので このまま出発します。 黙って出発する非礼をお許しください。 今日はここでお別れですが ツーリングをしている限り またどこかで会える日が来ます。 そうして昨日 沢山の仲間に会えたのですから。 |
昨日の喧騒が嘘のように思えます。 今日は始めに 別府の町から 四国へ渡るフェリー港の佐賀関まで走ります。 途中 スズキの隼(世界最速級のリッターバイク)が追いすがってきたので 道を譲ろうと 速度を落としてやり過ごそうとしますが 相手もスピードダウンして ピッタリ後ろについてきます。 見知らぬ大きなバイクに追い回されるのは 気持ちの良いものではありません。 早く行って!と合図するのですが抜いてくれません。 こちらが速度を上げれば向こうも上げるし こちらがスピードダウンすれば向こうも速度を落とし ピッタリついてきて威圧感は相当なものです。 気持ち悪いので すり抜けで先へ行き 何台かの車の前に入ると 向こうは追いついてこなくなりました。やはり単独走行が一番気楽です。 その後は ゆっくり流して走ります。 港へは 40分くらいで着きました。 ハンターで来る時より随分早い到着です。 国道九四フェリーHP |
早朝1便(7:00)の船になんとか乗れました。 今日は幸先が良いです。 豊後水道を1時間10分で結ぶこの航路は 手軽で速くて便数も多くてよく利用するのですが 船が小さくまた波が荒いので 船に弱い人にはちょっときついかもしれません。 いちど波が荒れた日に乗ったことがありますが すっかり船酔いしてしまいました。 このときは船が流されて 到着予定時間を30分もオーバーして港に着きました。 この日は船内の売店のおねえさんも船酔いしていました(笑) |
70分で到着しても 我々が降ろしてもらえるのは 一番最後。クルマやトラックが下船してから最後の最後に下船できるのです。 ついつい 早く降りようとあせる気持ちがわいてきます。 そんな中 一台のバイクが転倒してしまいました。 何を思ったのか 出口と逆方向にバイクを引きおろし Uターンで出口方向へ方向転換しようとしたのですが フェリーの床面には アンカーフックや鉄のリングが埋め込まれていて(バイクを固定する為のロープフックです) これを踏んでタイヤをとられて転倒してしまいました。 |
バイクが大きすぎて なかなか起こすことができず 慌てて船員が駆け寄って バイクを起こす手伝いをして やっと復帰できました。 ライダーに怪我はないようでしたが きっと彼は心が傷ついたことでしょう。 外へ出てから 割れたアンダーカウルと サイドカウルを眺めながら がっくり肩を落としたライダーを見て ひとごとながら気の毒に思いました。 カウルのついたバイクは ひとコケ「〜万円」ですから。 そのとき気がつきましたが そのバイクは見覚えのある あのスズキの隼でした。 小柄な乗り手だったので 足つきも悪く 立ちゴケしやすいようでした。 このことは 自分の事として考えさせられる事件でした。 私は随分見栄を張って 体格に合わない大きなバイクに乗っています。 乗っているときは快適ですが 降りてバイクを押し回しすると 随分きついです。 次に乗るバイクは 体格に合わせて もう少し小さなものにしようかな? |
気を取り直して 港を出ます。 ここから四国、快適なメロディーライン(三崎から八幡浜までの細長い岬の尾根道をこう呼びます)を走ります。 佐田岬は 四国愛媛からまっすぐ西に向かって伸びている 細長い半島で不思議に長い海の上の回廊ですが これには訳があります。 西日本の地図を見ると解るのですが 佐田岬の直線を西にまっすぐ辿ると その延長線上には 別府湾があります。 また 東に辿ると石鎚山そして剣山と 四国の背骨を横に通る四国山脈を貫き 徳島から更に東へ 淡路島の下半分をとおり 和歌山の田倉崎を上がり和歌山県の高野山にいたる壮大な道です。 ここは日本最大級の活断層なのだそうです。 |
原子力施設が 活断層の真上にあるわけです。 施設を設置するとき 知っていたのか 或いは知らなかったのか どちらにしても 怖い話ではあります。 日本列島はどこへ行っても地震から逃げられませんから どこへ持っていっても 同じなのだといわれれば それまでなのですが。 ドイツなどでは原子力行政が見直されて 原子力発電所の建設凍結 改廃が進んでいると聞きます。 ここ地元伊方では 反対運動もあるようです。 そろそろ電力行政も曲がり角に来ているのではないか・・・? 門外漢ながら 原発反対の看板を見てちょっと考えさせられました。 |
もうすぐ宇和島市街 途中果物の露店があったので 苺の半パック入りのものを買って 休憩がてら 中身を全部(12個ほど)食べました。 私は殆どジュースを買いません。 水分補給は ペットボトルのお茶か水。 缶ジュースはあまり飲みません。 (麦の泡水は好きですが) ただし果実は大好きです。 特に地方の農協なんかを覗くと 山の野生の果実 やまももとか ぐみとか 小桑とか あけび さるなし なんかには目がなく あとは田舎の苺とか 青みかん(酸味の強いもの) など野性味の強い果実が好物です。 |
宇和島の街中に入り込み 商店街を歩いて 以前行ったことのある 日本料理店を捜したのですが お目当ての店はなくなっていました。 商店街の脇の道に 揚げ売りのじゃこてんの店を見つけ 店頭で 揚げたてのじゃこてんを食べさせてもらいました。 田中かまぼこ本店 ふぅー しあわせ。 かまぼこ屋のおばさんに 地元の人がよく行く 魚が美味い店を教えてもらい そちらで昼ごはんを食べました。ほづみ亭のさつまめし 今回の旅行で 一番美味しかったのがここの「さつまめし」 二番めが さっきのおばちゃんちのじゃこてん 宇和島の魚はどこよりも美味い・・・・(と思う) しっかし 安いものばっかりですねー(笑) |
腹ごしらえがすんで 宇和島の旧領主 伊達の殿様の博物館に行きました。 正式の名前は宇和島市立伊達博物館。 宇和島の伊達家は 仙台の伊達の分家です。 幕末期 当時の四賢候と呼ばれる 伊達宗城(むねなり)が出て 幕末の動乱期小藩の藩主ながら幕府を擁護する為 たいへん活躍しました。 この藩も幕末の一時期脚光を浴びました。 10万石の小藩ながら 自力で蒸気船をつくり 八幡浜湾に浮かべました。 隣の土佐藩には やはり幕末賢候のひとり 山内容堂がおりました。 |
宇和島から山の中に入り 土佐の国にはいると そこは坂本龍馬が脱藩した 檮原(ゆすはら)という土地に入ります。 ここの里人はもともと勤皇の思想が強く 幕末以前から藩主よりも皇室を敬っていたという伝統がありました。 こんな中から 土佐勤皇党もでて 龍馬の脱藩を助けました。 真ん中の武士が 坂本龍馬像です。 |
ここは檮原町歴史民俗資料館 町役場の向かいにあります。 昔の民具や農機具 生活雑貨 祭具 武具など 他所の博物館のように買い足した物ではなく 近い昔にここで使われてきた物ばかりを持ち寄って展示してあります。 ここは昔は陸の孤島で そのかわり古いものを大切にし大事に残してきた伝統が こうして歴史資料館として役立っているのです。 私には古すぎて懐かしいという感覚はなく たとえていえば木で出来たおもちゃ箱のような感覚で見てきました。 |
旅行中 いつの間にか 幕末の人になっている自分を感じます。 土佐の人はからっとして素敵。 なにごとも曖昧模糊(あいまいもこ)な上方人とは基本から違うと思います。 曖昧模糊が必ずしも悪いことではありませんが いつも争いごとを避けることで 失ってしまうものも多いと思うのですが。 |
早春に来たのに また来てしまった高知ユース。 施設は抜群にきれいだし 夕食は手が込んでいて美味しいし ペアレントさんは親切だし、屋根つきの駐輪場はあるし 言うことはないのです。 高知自体も 酒飲みには良いところです。 半年くらいなら 住んでみたい気もします。 それ以上はダメ。 やっぱり住むなら大阪が一番です。 |
ユースの食事は たいへん美味しいのですが やはり私は好奇心が強く 珍しいものを求めて ついつい町をうろついてしまいます。 ひろめ市場へ行って 目に付いた鯨ラーメンを注文しました。 見たこともないもの 初めてのものなどは 内容を見もしないで 瞬間的に注文してしまいます。 吉と出るか 凶と出るか そんなことは知ったことじゃない。ドキドキするその瞬間が味わいたいのかもしれません。 ・・・・・・・今日は「吉」でした。 |
ユースからひろめ市場へは バスで行きました。 帰りは歩いて帰りました。 随分 時間がかかったけれど 腹ごなしと酔い覚ましにはちょうど良い散歩でした。 今晩もユースでは利き酒会があるそうですが 疲れたので先に寝ることにします。 よく考えれば 昨晩の睡眠時間は3時間弱 早朝出発して 九州から海を渡って高知まで 1時間あまり歩いて酒飲んで・・・・・ 疲れるはずですわ。 でも眠いだけ、早めに寝たら多分明日は元気全開!・・・・・のはず?? Hideさんからは 無事自宅へ帰られたというメールをいただきました。 良かった良かった! 今回知り合ったツーリング仲間のなかで まだ自宅に帰り着いていないのは 私一人?? ということは 明日はいよいよ雨が降る??! 期待している人も多い?(笑) |