2006/5/3  長崎〜島原〜天草〜阿久根〜鹿児島

長崎カトリックセンターの朝。

ここは夕食の提供はありませんが 朝食は無料で出してくれるんです。

おにぎり2個と味噌汁にお漬物の質素な朝食ですが あちらのご厚志とあっては とても有難く 感謝していただかなければなりません。

信徒ではない我々も この時ばかりは神に感謝いたします。
アーメン!
長崎から諫早を通り 島原半島を時計回りに 島原の町に到着しました。

私は長崎と同じく この島原の町が大好きです。

徳川御家門の松平氏の御城下ですが しっとりとした武家屋敷や 街中のあちこちに湧水の多い土地 海もあって山もあって 火山の普賢岳や 避暑地雲仙まであるこの地は とても贅沢な素晴らしいところです。
この町には 防塁の為の立派な武家屋敷群が 史跡として残っています。

やや南国風のところは 鹿児島の外城に通じるものがあります。

御家門の島原にとって 外様の雄藩薩摩藩は ライバルですから 同じように武家屋敷が要塞化するのは 仕方のないことなのかもしれません。。

建物を堅固な塀で囲み 家を一直線に並べ 真ん中には生活用水の為の水路をめぐらせています。
この水路は 上水道(現在では使っていませんが)であると共に 防火用水でもあります。

家屋は 何軒かは一般公開されています。
街中にある一番有名な湧水地が ここ浜の川湧水。
住宅街の真ん中に湧水地があって 美味しい水が手軽に飲めるなんて とてもうらやましいです。

島原名物 浜の川湧水の茶店「銀水」は この湧水地のそばにあります。

10年前初めて訪れた時は 美味しい「かんざらし」(白玉団子の冷菓)をいただいて とっても美味しいので感動した覚えが あります。

今日来てみると 店は閉まっていました。

なんでも店をやっておられた「はつよし」ばあちゃんが 4年前に亡くなられたのだそうです。

ちっちゃくて 優しくて 楽しいはつよしばあちゃんに会いに来たのに もう2度と会えないなんてとても残念です。

前に来た時は「岩井半四郎さんはね ところてんを黒蜜で食べたいなんて言うんだよ」
と面白がって話してくれました。

関西人にとっては 珍しいことではないんですが ばあちゃんにとっては よほどおかしかったんでしょうね。

2度と会えなくなったのは とても残念です。
島原半島を回り 半島の南の端にある 口之津港につきました。

今日はGWの為 フェリーはピストン運航しています。
例によってバイクは船の左右の端にしか乗せてもらえませんから 一番先に積み込まれます。

沢山の多府県ナンバーのバイクに混じって 私のバイクも船に乗せてもらえました。

←画像リンク
旅気分は最高潮です。
島鉄フェリー時刻表
向こう岸 天草の鬼池港までは所要時間30分。

緊縮財政には嬉しくない出費ですが それ以上に値打ちのある楽しい船旅です。

有明海を渡るこの航路は 浅い海に散らばった岩礁や 有人無人の島々のそばを通る 素晴らしく眺めの良い海の道です。

風のない晴れた日は エメラルドグリーンから ダークブルーまで 刻々と多彩に変化する海が見られます。

今日はあいにく風がとても強く 濁りが入って白波も立ち 鉛色の海ですが 気持ちのいい風に吹かれて 気分は高揚してゆきます。

鬼池港に着いて 近道は通らず 半島の西側 外海沿いを進むことにしました。

天草というところは 江戸時代のキリシタン殉教の地ですが 明治年間になってからは 信者は信仰を取り戻し この地に教会が再建されました。

それがこの天草下島にある大江天主堂です。

小高い丘にある ライトグレーの教会は 遠くからもよく目立つ 立派な建物です。

内部を見学させてもらいましたが 天井の高い大聖堂は この地の過去の悲しい物語を忘れさせてくれるくらいの 明るく荘厳な建物でした。
教会の駐車場で売っていたのは 晩柑と呼ばれる蜜柑でした。

2個で100円はとても安くて 試しに一袋買ってみましたが 上品な味の実は とてもジューシーで甘く酸っぱく今まで食べたことのない美味しさでした。

一個は食べて 残りの一個は 今日の宿に入ってから ゆっくりと味わってみたいと思います。

←ロールオーバー
こちらは 大江店主堂の近くにある 崎津天主堂

あちらとは ちょっと違って 庶民的な入り易い雰囲気がただよっています。

場所は海のそばギリギリで 低い位置にあり 人家の中にうずくまるように建っています。。

どちらの教会も とてもきれいで魅力的な建物でした。 
天草は熊本県。

そこから鹿児島県に渡るフェリーがあって 牛深(下島)という港から 蔵之元港(長島)というところまで海の道でつながっています。

本日 2回目の船旅。
またしても所要時間は30分でした。

三和フェリーHP
やっと鹿児島の北の端 阿久根まできました。
ここで昼食。

道の駅 阿久根。

名物 きびなご料理を食べようと 「きびなご天うどん」を注文しました。


生臭くなく 材料の新鮮さが感じられる 美味しい天ぷらでした。
 
これで 空腹もおさまったので 急いで鹿児島市内を目指します。
鹿児島市内に入り 今日の宿 「太陽ヘルスセンター」を探し出して 宿泊の申し込みをしました。
太陽ヘルスセンターHP

ここは24時間空いている風呂で 宿泊は 昼間休憩室になっているスペースで 宿泊させてもらう形式の いわば仮眠室のようなものですが バイクの駐輪スペースは有るし(屋根つき) 24時間営業のスーパーも併設していて 便利です。

ただし ちょっと駅からは遠く 繁華街の天文館からはもっと遠いので 鉄道旅行者には厳しいかもしれません。

宿に荷物を置いて 天文館にでました。

この町を眺めていると 他所とは違うことに気がつきました。

他所のどこの地方都市より活気があって なのに裏通りなどあまり不健全さを感じません。

街の人は あっけらかんと明るくて でも礼儀正しく親切なことにも驚きました。

町を歩いている若い女の子は やや小柄な子が多く なんか少し昔の 一番良かった時代の日本を見ているような そんな感じがしました。

どこへ行っても 今の世代の都市の若者は 全体的に細くて 足が長く芸術的にすらりとした体躯の人が多いです。

我々昭和生まれとは 人種が違うのではないかと思うくらい 見栄えが良くて 全然違って見えるけれど ここの人は わりあい小柄な体躯で 親近感があるのです。

鹿児島県人は 勇猛果敢な名族 古代隼人族の血が流れているといわれています。

隼人族はやや南方系の 海の向こうの 海洋民族の末裔ではないかと 私などは想像しているのですが 西郷さんなどは容貌から その血が濃いように思います。  いかがでしょうか?
食事は「白熊」と念願の「酒ずし」をいただきました。

どちらもたいへん美味しく、酒ずしなどは 想像していたより ずっと洗練されていて 鹿児島の料理の奥深さを感じさせるものでした。
宿に戻って早々に寝ることにしました。

明日は早朝から 鹿児島の維新の志士の旧跡を訪ねます。

今日も一日無事でした。

おやすみなさい>西郷さん!
(携帯の充電もここで できました)


←前日  翌日→

戻る